なぐりがき
子供との距離が難しくなってきた。なぜ難しくなるのか。言うことを聞かなくなったからだ。自我のレベルが私の小言と均衡してきたのだろう。思い返してみると、私が自親の言うことを聞いてうまくいったなという記憶はない。とやかく言われるのが嫌でしょうがなかった。とにかく放っておいて欲しいのだ。転ばぬ先の杖など望んでいないのだ。
どうだ?言ったとおりだろ?
それ言わんこっちゃない。
だから言ったじゃない。
どうせこんな結末だ。だから転ばなかったとしても助言のおかげと思えず、転んだとしても親のせいとも思わなかった。
私は息子へのスイッチを切り替えた。時期がきたように思ったから基本見守ることにした。
言うことは言う。無理やり聞かせようとは思わない。万人にあてはまることじゃない、当てはめようとも思わないけど。
うちのはそれでいい。
絶対じゃないけどクスリや犯罪に近づくことを面白いとは思わないタイプだろうから。思い込みだとしてもそれはそれでいい。子供とて分からないことはわからないんだから。これは信じるとはちょっと違う。言いたくないけれど、あきらめるに近い。
あきらめる?何を?
子供をずっと支配下に置きつづけるという構造をだ。
成長は旅立ちだ。旅立ちは喜ばしく、寂しいのだ。寂しさに泣きながらでも耐えて手を振るのが親の、大人の務めなのだ。私がしてほしかったしてもらえなかったことだ。
そんな私の親のような親に私はなりたくない。
自立するようになったんなら本当に喜ばしいことなんだよね。
勝手に生きろ。頑張って生きろ。好きに生きろ。
黙って応援してやる。
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